徳本 一善TOKUMOTO KAZUYOSHI
広島県の美鈴が丘中学校から陸上を始め、中学3年生で全国大会に出場。
法政大学時代は箱根駅伝で2年時に1区区間賞、3年時には2区のラストスパートで駒澤大学の選手を振り切りトップで中継するなど活躍。
また、自身の代名詞といえるサングラスに派手な茶髪スタイルは、朴訥系の多い長距離界では特異なキャラクターとしてマスメディアが大きく取り上げ、「ビジュアル系ランナー」、「爆走王」などとして注目を浴びる。
現在はモンテローザに所属し現役ランナーを続行する一方、駿河台大学駅伝部監督に就任、指導者として新たなスタートを切った。
また、2012年からニューバランスとアドバイザリー契約を締結。
選手としてまた指導者として活躍が期待されるランナー。
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夏合宿
15 08/13
教え子
15 08/07
教え子がトレイルの世界大会に出場し帰ってきました。
彼は駿河台大学にきて本当に良かったといってくれました。
しかしそう思うまでに、彼はすごく辛い事を味わってきた選手です
泣きながら僕のところにきてやめたいとまでいってきた選手でした。
箱根駅伝出場を掲げる大学の中で、彼のような選手はいくら努力してもレギュラーになれるまでの道のりは遠く、箱根に憧れて入ってきても夢半ばに現実を直視すれば、叶わない現実を突きつけられる選手がある中で、「自分自身の限界に挑戦しよう」と何度も呼びかけました。
彼はその言葉を信じて僕についてきてくれた選手です
大学駅伝強化が激化する中で、箱根駅伝という夢だけでなく自分自身の限界を超える目標を持ち、駿河台大学駅伝部でよかったと思ってもらうことが必要だとすごく感じています
「自分の限界を超える」簡単ではないこのフレーズを教え子が挑戦してくれている事に僕もまた教えられています。