小谷 祐子Kotani Yuko
学生時代にトライアスロンをやっていたのが、別人としか思えない日々が悲しくなり、2008年さいたまシティマラソンで大会再デビュー。2010年、ウルトラマラソンは97kmでタイムオーバー。その後走れない日々が続きましたが、2012年湘南国際マラソンで3年ぶりのフルマラソン完走。ゴールすることの素晴らしさ実感中です。ベースボールマガジン社の『クリール』や、フリーペーパー『STEP』、「千葉真子BEST SMILEランニングクラブ」の会員向けメールマガジンの執筆などさせていただいています。毎月、首都圏を中心に大会取材に出かけています。ランナーの生の声を集めながら、情報発信していきたいと思います。
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磐梯高原猪苗代湖ウルトラマラソン(4)
13 09/20
さて、ウルトラマラソンリタイアレポート、
やっと50キロ、半分まできました。
…でも、100キロウルトラマラソンって、50キロが半分ではありませんよね。
フルマラソンでも、30キロ、35キロからがフルマラソンっていわれるくらいですから、
100キロの半分、50キロなんて、余裕を持って通過しなければならないのですが、、、
50キロを6時間切るタイムで通過した自分、
順調、順調〜なんて思っていたのですが、
冷静に考えたら、全く余裕はなかったんですよね。
3年前は、制限時間14時間だったのが、今回は13時間ですので、
残りは7時間ちょいです。50キロを7時間。
時速7時間ちょっと、キロ8分半ペース。
走っているときは、そんな細かい計算していなくて、ずっと余裕だと思っていたんですけれど、
50キロを過ぎてからちょっと様子が変わって来ました。
平坦な道になったのに、なかなかスピードがあがらないんです。
足もすごく重たくなってきて、、、
給水所やトイレがあると、「ああ、休める」って感じで、
それを心待ちにするようになっていました。
こんな感じで猪苗代湖を左手に走るのですが、
このあたりから、10時スタートのフルマラソンのランナーにもすれ違うようになりました。
前回3年前のレポートでも、6時間くらい走ったときに、フルマラソンのランナーとすれ違って、どどっと疲れが出た、と書いていましたが、
今回も、、、力をもらえた、と感じられたのは、最初のほうだけ。。。
だんだんだんだん、元気でたくさんいるランナーとすれ違うのがキツくなってきました。
あ、いや!
ランナーはみ〜んな「がんばれ!」「ナイスラン!」「すごい!!」って声かけてくれるんですよ!!
そして、私と同じ方向に走っているランナーも、それに答えて「ありがとう!」「ナイスラン!」なんて、エールの交換しているんですよ。
…私も、そうやっていました、最初は。。。。
けど、、、本当にどんどんどんどん辛くなってきて、、、
がんばっているのに、進まない!
フルマラソンの方達よりずっとずっと遅いペースの自分!
ちっとも笑顔になれない自分!
も〜〜こんな自分いやだ〜〜辛すぎる〜〜〜
って、1人泣きながらラン〜〜
泣きながらって自分どんだけ??
落ち着けよ〜〜って思うんだけれど、
涙が止まらない、、、
…どうも、私は6時間通過すると、頭おかしくなるみたいです。
脳内物質の問題かしら??
ドーパミンが異常に出過ぎるのか、セロトニンが過剰なのか、
はたまた疲れすぎて足りないのかなんなのか、、、
息もなんだか、過呼吸気味になっていて、ペース全くあげていないのに、ひっくひっくしていて、、、
ちょっとすると、「泣いている場合じゃない!」ってなるんだけれど、
落ち着くとまた、泣き始めて、、、の繰り返し。。。
写真はラン友さんが撮ってくれたんだけれど、
この時全く余裕無し〜〜
時間は、11時34分くらいだったかな?
50〜55キロまでの5キロ、45分くらいかかっちゃっている。
キロ9分じゃん、、、って思ったら、もう〜全く余裕無くて、
「写真撮ってあげるよ!」「ほら、ぶどう食べて!」
って、一生懸命もり立ててくれる彼女にも、十分お礼いえない。答えられない。
…もう、そんな自分がいやでいやで、、、
でも、ここからホテルリステルまでの10キロ、65キロ地点
そして折り返して、第一関門までの18.5キロ、73.5キロ地点まで、
2時間弱で走らなきゃいけないと思ったら、
全く全く余裕なくって、、、
わああ〜〜〜〜〜〜私はまた完走できないのかよ〜〜〜って思ったら、
自分に猛烈に腹が立って来て、またまた号泣ラン〜〜
…だ〜か〜ら、泣いている暇あったら走れよ、落ち着けよって感じなんですが、
暴走し始める自分とまらない、暴走ったって脳の話で、実際は全然走れないし。。。。
折り返しての関門である志田浜エイドについたとき(大体57キロくらいかな?)
たくさん食べるものもあるし、本当ににぎやかなエイドなんですけれど、
全く余裕ない自分、
頭に水だけかけてもらって、ワンワン泣きながら走り出しました。
…冷静に考えて、ここで、折り返しの関門時間確認しておけばよかったんですけれど、
やっぱりおかしくなっているんですね。。。
薬でも飲んだ方がいいのかもしれません。。。
関門がどうであれ、ココを次には13時半までにこないと、自分は完走できないんだって思い込んで、とにかく先へ先へと気持ちだけが先走りです。
…けれど、、、ここからホテルリステルが本当に遠かった、、、
これは3年前の写真、志田浜のエイドから過ぎた道から見える磐梯山ですが、
ああ、この風景覚えている〜〜すっごい辛かったんだ〜とか思い出し、
そのとき「ここを、もう一回戻ってくるなんて、無理かもしれない」
と思ってしまったんです。。。
気持ちはすごくあったのですが、今回、足が思った以上に動かなくなっていました。
なんか全く忘れていた、動かない足とのつき合い方、、、
初めてフルマラソンを走った大学生時代、ホント20年振りの感覚、、、
きっと、三年前のウルトラのときだって、こんな風に足動かなかったはずなんですが、
そのときのことは全く忘れていて(3年前は動いていると思い込んでいた)
動かない足と、制限時間の迫る間と、
距離感がわかっているだけに、遠いってことを覚えているからだと心があって、
進めなくなってしまいました。。。
それでも、今回すすめたのは、12時スタートするハーフの部に、
夫が出場していたこと。
12時スタートの夫が走り終えるころまでは、私も走っていなきゃ。
このまま進んで行けばどっかで会えるはず〜〜って思いながら進みました。
やっとすれ違ったときは、12時28分くらいだったかな?
折り返し65キロ地点まで、残り5キロの表示を少し過ぎたところだったので、
61キロ地点くらいかな? ハーフの夫は4キロちょっとかな?
もう5キロ55分くらいかかってる、、、
夫はニコニコと大勢の人(たぶんそこに、ロンブー亮くんもいたはず)と走っていて、
楽しそうでしたが、
私が「もう関門間に合わないかも〜〜」って半べそで行ったら、
すれ違ったみんなと大笑いで「とにかくがんばって!」とめっちゃ笑顔。。。
ふええ〜〜情けない、、、でもとにかく進みました。
歩いているみたいなスピードで走りながら。。。
…もうこの先はダメな自分しかないのですが、長くなったので続きは(5)へ、、、
…だんだん辛いレポートになってきました。。。